春は桃やりんごの花が咲き、夏には緑の田園と涼しい夜風、秋はりんごの赤い実、
そして冬は凍えるように寒く、時に雪景色であたりは真っ白くなる。
安曇野の暮らしは季節感にあふれています。

「生産のある暮らしをしよう。その暮らしの中で子供を育てよう。」
これが僕たちが安曇野に移り住んだ理由でした。

移り住んだ1年目、生産のある暮らし=農のある暮らしは、
10m四方の小さな畑からスタートしました。
我が家の食卓に最初に上った自家製野菜は二十日大根。
悦子の「我が家の二十日大根で〜す。」という言葉に感動したものでした。

あれから5年、現在僕たちは3枚の畑と2枚の田んぼを借りて耕作しています。
改めて我が家の自給の暮らしを見直してみると、お米に各種夏冬野菜、
自家製小麦によるパンやうどん、エゴマとエゴマ油、にジャガイモ、大豆、蕎麦、etc。 
いつの間にやら、とても充実したものになっています。 

自分が手をかけて育てた獲りたての野菜が並ぶ食卓はとても豊かです。
宿泊してくださるゲストに食べて頂く料理の食材も、
ほとんど自家製または地元の仲間たちが作ったもので賄えるようになってきました。

桜の咲く頃を目安にジャガイモを植えたり、稲穂の出穂に秋の気配を感じたり、
自分の中に季節の移ろいと農作物を育てるリズムが
いつの間にか培われていることを自覚します。
軽トラに乗って田畑を行きかう様は、僕も一端の農人でしょうか。 

地球宿は、このような安曇野の四季折々の自然と増田ファミリーの
農のある暮らしの喜びをベースにして、ゲストを迎え入れていきたいと考えています。
農のある暮らしを一緒に楽しみましょう。

                          2009年3月15日 増田望三郎




農のある暮らしについて書いた過去の文章

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東京から安曇野に移り住んで1年4ヶ月。増田ファミリーの暮らし方で大きく変わったことが一つある。
それは暮らしの中に「生産する」という要素が加わったことだ。
風が生まれたばかりの東京町田時代、悦子が僕に言ったことがあった。

『私は生産のある暮らしの中で、子どもを育てたい。』

東京という街は消費生活の極めつけのようなところで、自分で生産するものがほとんどない。自分達の日々の食事の材料が、どこで、どのように生産されたかを実感することがないまま、大量に消費される。
しかし消費だけの生活は、便利なようで実は疲れる。そのことは都市生活者ならば誰しも感じたことがあろうかと思う。

かくして、増田ファミリーは東京を離れ、この安曇野の地で生産のある暮らし=すなわち農のある暮らしを営み始めた。
越してきて3日目に畑に出てラディッシュの種を蒔き、それが1ヵ月後に我が家の食卓にのぼった。
その時の悦子の嬉しそうな顔を今でも思い出す。自分が育てた野菜をどう調理しようかと考えるのは楽しいようで、悦子の作る料理は東京時代よりずっと美味しくなった。

僕も仕事に出かける前の朝の時間、庭の畑の野菜たちに水をやって出かける。
赤く色づき始めるトマトやすぐに大きくなってしまうキュウリ。ナスはできなかった。
大根や白菜の冬野菜の種蒔きはお盆前が適期!ということで、早起きして畝を作った。その後悦子が種を植えてくれて、おかげで冬は仲間たちと鍋料理をたらふく食べた。

毎日まじめに畑に出かけたわけではなく、なまくらだったけど、それでもある時期にしっかり手をかけさえすれば、後は野菜自身の成長する力と土の力とで、作物が稔っていく。
そう、それは、「生み出す」のではなく、「生み出されていく」のだ。
『畑って、すごいなあ。』
僕はそう思ったものだ。

そして、東京時代には感じられなかった、心の落ち着きや安心を得られていることを僕は自覚するのだった。
織物が縦糸だけでなく、横糸もあって初めて織り成されていくように、僕の夢もそれまでの頭の中の理想だけでなく、なんだか大事なベースを得ていっているような、そんな気がした。

大事なベース、それは単に食べるものを自給できている、ということだけでなく、対象物を育て、実らせ生み出していく、という行為やその過程を通じてしか味わい得られない、人が生きていくうえでの礎となる喜びのように思う。

                                   2005年7月7日 文責 増田望三郎

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「農業」と「農のある暮らし」とは違いがあると思っている。
前者は農を生業とし、それで生計を立てるということ。それに対し、後者は農では生計を立てない。自分やその周辺が食べるために行う農だ。生計を得るための仕事ではなく、暮らしの中の一つとして位置づけられる農だ。農的生活と言っていいかもしれない。

直接従事したことはないから分からないが、農業は厳しいと言われる。農そのもの自体は楽しい営みであると思われるが、それで生計を立てようと思ったら、別の論理が働くのだろうか。今後農業はスケールメリットでカバーする資本力を持った企業体か、有機無農薬栽培などの高い付加価値のある哲学を持った農業者に2極化されるのではないか。

しかし、それでは農業者人口は減り続け、遊休農地が増え、土地は荒れていくだろう。僕が今年米作りに挑戦している田んぼは数年間休耕田で荒れており、今年復活して田んぼとして機能するまでに労力を費やした。荒れた農地は機能を失い、やがて少しづつ切り崩されていってしまう。田園地帯といわれる安曇野もいつまでそう言っていられるだろうか。

そこで我思う。
これからの時代は、暮らしの中に農を取り入れた農のある暮らしを実践する人が増えていくことだと思う。テレビや車が生活の中に位置づいたように、自分の食べるものは自分でつくる、という方向へと普通の人々が、そのライフスタイルをシフトさせていくのだ。食糧危機が予見される時代背景からの必要性、そして、何よりも農自体が持つ魅力を感じ取った人々が、暮らしの一部としての農をやっていくのだ。

但し、都市の生活者にとって、農を体験する機会は少ない。したいと思っても、その場所が市民農園のほんの小さなスペースなのだ。それさえも抽選に外れれば失われる。
ではどうすればいいか?答えは簡単。地方へと移り住んで農のある暮らしをすればいい。都市部を離れ、地方へと向かう流れは既に始まっている。

僕をみても、田舎にいるし、やってみるか・・・といった軽い気持ちでやり始めたわけで、資本も無く、立派な哲学が無くても、十分に農のある暮らしを楽しめる。たくさんの農地と素人には素人なりのアドバイスをしてくれる農業者がいるからだ。素人の農的生活を後押ししてくれる基盤が農村社会にはあるのだ。
農業者にならなくても、僕らのような農的な暮らしを始める人が増えていけば、食糧危機で困る人の数は確実に減り、この安曇野の風景も少しは守っていくことができるのではないだろうか。


農のある暮らしをやり始めてたった1年目の何も分かっていない人間が偉そうに理屈を書いたが、都市から農村へと移り住んだ自分の行動には、このような可能性もあるのかなと思っている。

                                   2005年7月14日 文責 増田望三郎


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