3月11日早朝、オーストラリア一人旅を終えて成田に到着しました。
その日大地震が起こるなんて思いもせず、当初の予定通り、友人を訪ねるために
千葉外房へ向いました。その時に地震に遭遇。
外房にも大きな津波が来ていれば僕も危なかった。

東京から安曇野に戻るバスの中で、新聞に掲載された被災地の写真を見て、
余りの悲惨さに嗚咽しました。中央道を走り、塩尻峠を越えて見えてきた
北アルプスの山々はいつもと変わらずどっしりと座していました。
迎えに来てくれた家族と1ヶ月ぶりの再会。子どもたちを抱き上げました。

地震前に入っていた宿泊予約は軒並みキャンセル。一方首都圏の友人たちから、
お米の注文が相次ぎました。部屋もある、布団もある、米もある。
自分も何かやれることがないか?そう思い地球宿の震災支援を発信しました。

被災地だけでなく、水の汚染などで生活不安のある首都圏に暮らす方たちにも
呼びかけたところ、子育て中のママと子どもが2組やってきました。
あるママは東京を離れる電車の中で、心身のこわばりが緩んでいくのが分かり、
思わず泣けてしまったそうです。
避難ステイは今も続き、数日前から福島の男性、そして昨日からはもう1組、
東京のママと乳児がやってきて、大家族になっての合宿生活です。

避難ステイの様子


今回の震災はこれから自分が何をすべきなのかを考える機会になっています。
先日おぐらやま農場松村さんと話した時に、
彼は「益々農業者として専心していこうと思った。」と言ってました。
堀金の友人農家の浅川君も「食糧の安定供給が農家の使命。」と言ってました。
農業者としての社会的役割を全うしようとする彼らを頼もしく感じました。

では僕はどうすればいいんだろう?
この地球宿を益々やっていけばいいんだろうか?

そんなふうに根底で自問しています。
これまでも安曇野を愛し、安曇野を素晴らしい地域にしていきたい、
そんな念いで人や地域と繋がり、地球宿をやってきました。
しかし、もうちょっと次元の違うところで、社会に対して働きかけること、
社会に対して仕事をすることができるんじゃないかと思えてくるのです。

震災も原発事故も自分と無関係で済めば、このようには思わないかもしれない。
東北・首都圏の友人の安否、宿泊の激減、お米の注文増加、ガソリンの不足等、
自分の生活に実際に影響し、立ち行かなく可能性さえある。心も萎えてくる。
自分たちの暮らす社会が地域を越えて相互に関係し合って成り立っていること、
そしてその社会がいかに不安定な基盤の上にあるのかを実感しました。

中でもエネルギーと食糧。
原子力エネルギーは国策とは言え、とばっちりを受けるのが市民であることの
理不尽さ。もちろん恩恵も受けてきたので、僕たちにも責任があります。
だけどやはり原発は要らない。そう思います。
食糧だって、東北地方の農業が打撃を受けて食糧危機がくるかもしれない。
エネルギーも食糧も他地域に依存せずに、自分の暮らす地域において自給する
社会へと大きく舵取りをする時なのだと思います。
これまでの右肩上がりの経済成長をやめて、自分たちが本当に望む持続可能な
社会を導き出し、農業者も政治家もメーカーも一市民も、あらゆる立場から、
その実現に向けて動き出していかなければなりません。

そしてその行動のベースには、僕たちが心の手を結び合い、つながり合うことが
肝要だと思います。

「共に生きていこう。」

そんな思いから、安曇野の仲間たちで集まり、自分たちが何ができるのかを
話し合いました。一市民に過ぎない小さな力の自分たちですが、
人と繋がり合い、話し合い、被災者のためにも、自分たちのためにも、
そして自分たちの子どもを含めたこれからの世代のためにも、
どんな社会を創り出すのかを考えていきたいです。

そのつながりと動きを『安曇野ひかりプロジェクト』と名づけ、
まず被災地応援のイベントを企画しました。

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★被災地応援イベント in 安曇野
 『つながろう安曇野、つながろう日本
     〜安曇野から日本のみんなへ 光をとどけよう!〜』★

  未曾有の大災害と解決の見えない原発事故により、
  今人々の心は暗澹たる思いに沈んでいます。

  この絶望の淵に希望の光を届けたい。
  助け合い、分かち合い、協力し合う。
  心の手で繋がり、愛し合う。

  まずは萎えている自分自身の心を光照らそう。
  そしてその輝きを被災地に、生活不安のある首都圏に、
  そして日本中に届けていこう。

  光のメッセージを安曇野から発信していこう。

             2011年4月 安曇野ひかりプロジェクト

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たくさんの人たちと心でつながり合って生きたいです。

4月23日の被災地応援イベント詳細


さて冒頭にも書きましたが、オーストラリアを単身旅してきました。
これまで地球宿に来てくれたゲストやウーファーの元を訪ねる旅でした。
オーストラリアの雄大な自然も素晴らしかったけど、それ以上に各家々で
心温かく迎えてもらったことが一番心に残っています。
迎えられて、どこかで感じた思いだなあと思ったら、それは地球宿でした。
「世界中、至る所に地球宿あり、我が家あり。」ですね。
僕もまた、そんなふうにみんなに思ってもらえる宿づくりをしていこう、
そんなふうに思えた42歳の一人旅でした。

オーストラリアの旅日記をボチボチ書いています。


家族のことを少し。

4月になり、子どもたちも1年づつ進級です。
風は4年生高学年になりました。前はおちゃらけたところしかなかったけど、
最近は少し大人っぽくなりました。(おちゃらけだってもちろんあるけど。)
「光ちゃん、保育園で年長さんになり、下の子たちのお兄さんをしてるって得意
げに話してたね〜。」という夫婦の会話を聞いて、「浮かれてんじゃないの?」
とバッサリ。高学年にもなるとこんな覚めた見方もするんでしょうか?
まあ、こうして成長と共に落着いていくんだな〜と思いました。
(繰り返しますが、完全に落着いたわけではありません。そんな感じにもなって
きたという程度です。)

一方弟光は保育園年長さんになり、園の中では一番のお兄さんです。
その自覚もあるようで、いろいろとお兄ちゃんシップを発揮しては、
それを先生や僕らからも誉められ、少しづつ自信が付いてきているようですよ。
先日の家庭訪問では、先生と悦子が話しているそばで、練習帳にひらがなを
書いていたとか。普段はそんなことやらないくせに。
場を見てアピールするのは誰に似たんでしょうね。→オレ。(笑)

悦子もホームヘルパーの仕事をやり始めて2年が経ちました。
毎日地元のおじいちゃん、おばあちゃんのお世話に駆け回っています。
この仕事をもっと究めていきたいという思いが湧いていると話してくれました。

おじいちゃん、おばあちゃんも元気。千葉から悦子の妹も疎開してきて、
総勢7人+犬のぶち、モルモットのチョコとレモン。
そして宿にいるゲストたち。賑やかに楽しくやっています。


最後になりますが、NHKの朝の連ドラで「おひさま」が始まりましたね。
その中に出てくる映像、とてもきれいでしょ。これが安曇野です。
ドラマは戦後の復興期をおひさまのように明るく生きた女性の一代記。
この物語は、今の震災復興と重なっていくでしょう。

震災や原発事故で先行き分からず、僕の心も少なからず萎えていました。
みなさんの心もそうだったかもしれません。
それでも変わらぬ春がこの安曇野にもやってきて、春の光が輝き溢れています。
作物の種蒔きや田畑の準備を進めていると、心の内が喜んでいるのを感じます。

ヒロイン陽子が、どんな時も明るさを忘れずに生きて、
人々の心を照らしていくように、僕も地球宿も、そして安曇野も、
日本のみなさんの萎えた心を少しでも明るく照らすことができますように。

どうぞ安曇野の光に触れに来てください。
心よりお待ちしています。

最後までお読み頂きありがとうございました。
みなさんの近況もお知らせくださいね。



長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
読んでの感想やご意見・アドバイスをいただければと思います。
みなさんの近況もお知らせくださいね。

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