僕たち増田ファミリーが安曇野にアイターン移住して15年目になります。
子どもたちにとっての故郷になるように、そして僕にとっても人生踊りの舞台になるように、
この安曇野の地に根付こうとしてやってきた15年だったと思います。

地球宿には移住相談のためにゲストさんがたくさんやってきます。
僕たちファミリーの移住の話や地元にいるその他の移住者やたくさんの素敵な仲間たちを紹介しながら、
チーム安曇野でみなさんの移住相談に乗れればと思っています。
また2017年より空家を利活用しての移住促進のシェアハウスも始めています。

安曇野でお会いしましょう。

安曇野暮らしを楽しく始める足がかりとして、移住促進シェアハウス「ゆたか」で暮らしてみませんか?

詳細は安曇野シェアハウス「ゆたか」のページをご覧下さい。

2009年4月19日 安曇野移住6年目の春に記す

「共に生きていこう」
~安曇野に移り住み、地球宿を営んで~

安曇野に移り住んで早くも丸5年が経ち、6年目の春を迎えている。
そもそもこちらへ移住したのには2つの理由と目標があった。

1つ目は生産のある暮らしを送り、その中で子育てをしようということ。
東京暮らしは消費一辺倒の暮らしだった。スーパーに行けば、お金さえ出せば何でも手に入る。
便利なようで、消費しかない暮らしというのはとても味気ないものだった。

安曇野に移り住んで最初の日曜日に僕たちはお借りした小さな畑に作物の種を播いた。
我が家の食卓に初めてのぼった自家製野菜は『はつか大根』だった。
その夜、妻が嬉しそうに、「我が家で獲れたはつか大根で~す。」と言った。
我が家の生産のある暮らしのスタートだった。
以後、2年目にはお米を作り始め、小麦、大豆、蕎麦、エゴマ、各種夏冬野菜など、
僕たちの農的生活は充実していった。東京時代には得られなかった喜びと暮らしの手応えがそこにはあった。

2つ目は生産のある農的な暮らしをベースにして、日本中、世界中から迎え入れ、
人と人とが出会い、心を通い合わせることができる宿(=地球宿)を創ろうということだった。
しかし移住してすぐに宿ができるわけでもない。まずは生計を立てて行かなければならず、会社勤めをした。

働きながら、安曇野界隈を始め、遠くは大町や生坂などいろんな地域を見て周り宿物件を探した。
またこの間、地元内外の人たちと出会うことを大切にし、その都度自分の夢を語っていった。
ハード(宿泊施設)よりも、肝要なものはソフト(中身)と思い、宿を始めるまでの準備期間に、
自分なりの宿の構想やコンセプトを明確に描き、またそれを語ることで
共感・応援してくださる方々が「仲間」として増えていった。

安曇野暮らしも3年目が終わる頃、ご近所の方から、
「望三郎さんがやりたいという宿があの家でできるんじゃないか?」
と声をかけて頂いた。おばあちゃんが一人暮らしをされていて、お亡くなりになった後の空き家を
紹介して頂き、大家さんの理解と応援で、地球宿を始める物件がついに見つかった。
資金もないため、大きな予算での計画も立てられず、地元で眠っているような古家を
お借りするしかなかった訳だが、まさに望んでいる形でご縁を頂いた。
妻とはこうやって声をかけて頂けるのに3年間必要だったんだね、
そんな暮らしをやってきたんだね、と喜び合った。

お借りした古家を宿として活用するための改修が始まった。
娘が通う地元の保育園の親御さんの中に大工さん、建具屋さん、塗装屋さん、
そして頑張って自分で家を建てている人がいた。どなたも安曇野に移り住んで出会った人たちで、
子育てを通じてママ同士が仲良くなり、そしてパパたちも仲良くなっていった。
夏には一緒にキャンプをしたり、一緒に食事や酒を飲んだりしては、
お互いのことを知り合い、家族のようにつき合えるようになっていた。
そんなパパさんたちが、みんなでやろう、と応援協力してくれて、改修は進んでいった。

またインターネットを通じても、「古家を改修して宿をつくるので一緒にやろう!」と呼びかけてみたところ、
数十名もの初顔合わせの人たちが東京や大阪などから集まってきてくれた。
移り住んでから4年目の夏に宿を開業した。
結果ではなく過程こそを大事にしていこうと思ってやってきたが、まさに中身ある過程があって宿が生まれた。
そうやって出来上がった地球宿はいい意味で増田家の手を離れて、仲間たちのための場になった。
僕はそんな地球宿を宝物のように感じた。

生産のある暮らしをするというのが妻の願いであったのに対し、心を通い合わす宿をするというのは
僕の強い願いだったが、移住するにあたって抱いていた夢が織り成し合って実現した。

地球宿は増田ファミリーの送る農的生活の充実と喜びをベースにして、
ゲストを家族や仲間のように迎え入れている。
もし仮に僕らが農的生活を送っていなければ、増田家の暮らしもあまり東京時代と変っていないもの、
また宿をやっても、内実が伴わないものになったのではないか。
その意味でも、これからもベースとなる生産のある暮らしを大切にしていきたいと思っている。

最後に安曇野について。
安曇野に一年暮らすたびに、この地域を愛している自分を自覚している。
北アルプスを背景に、そこに展がるこの平は僕の夢舞台だ。
四季折々の自然の移ろいとその自然に人為を足して調和していこうとする人々の暮らし。
そして農業だけでなく、そこに集まり、生きているたくさんの夢や志を持った人たちの群像。
そう、「群像」というにふさわしい、素敵な人々がたくさん生きている。
そんな人たちと今日も出会い、お互いの息遣いを感じ合いながら、
楽しいことは一緒に分かち合い、大変なことは応援し合って生きている。

ここで生きていくことが嬉しい、楽しい。この安曇野には幸せの風が吹いている。
この幸せの風に吹かれながら、今日も僕は畑に出、仲間と語り、そしてゲストを迎え入れる。

「共に生きていこう」これが、僕の今の思いであり、地球宿の本旨でもある。

安曇野地球宿プロジェクト 増田望三郎